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寄稿

三田ITC事務長を離れて

DMC統合研究センター 事務長:落合 啓一


三田ITCを離れて早や1年近く経とうとしているが、前身である三田メディアセンター情報システム担当に1998年着任して以来、三田に9年、理工学に3.5年、ひょんな事から三田に出戻って8年、合わせて20.5年もの長きにわたってITCにお世話になったことになる。思えば、コンピュータプロパーでもない私が何とかやって来られたのは専任だけでなく、外注の方々、学生アシスタント等、優秀なスタッフの皆様のおかげと今更ながら感謝している。さて、今般、年報に感想とか何か書けと言われ、はたと困ってしまった。ITC史や技術発達史などを書ける訳でないので、着任した頃がずいぶんと昔になってしまった事もあり、歴史の彼方に埋もれてしまいそうな当時がどうだったかを、かいつまんで書いてみることにした。ITCの正史からは離れており、また自分語りでかつ内輪向けになることはご容赦願いたい。

着任した時に当時本部だった大賀氏から最初に言われた事は「お前は雇われマダムなんだからみんなのジャマすんなよ」という一言であった。と言う訳で、第一に心がけたのはスタッフが活躍し易い環境を作っていくことであった。これは在任期間、常に心して来たことではあるが、果たせたかどうかは自分では分からない。内部的には大きなトラブルもなかった(はず)事から、一応はジャマはしないで来られたとは思っているが。そしてもう一つの大きな課題は大型汎用計算機の廃止であった。若い明日のあるスタッフに後ろ向きの仕事はさせられないからお前やれ、ってことになり担当することになった。当時、三田の汎用機には事務系その他を含め、かなりのサービスが残っていただけでなく、内製サービスとして三田計算室時代に経済学部の箕谷先生が構築した日経NEEDSデータベース検索システムがあり、これをクライアント-サーバ(Webベース)化する必要もあった。これについては経済学部の赤林由雄先生、商学部の神戸和雄先生の協力を得て、当時メディアセンターレファレンス担当であった金子氏と共に仕様を整え日経に開発を依頼し無事に移行することが出来た。この検索システムはその後塾の知的財産にもなった。この他のクリティカルな部分については当時本部所長であった理工学部の永田守男先生が、膨大な教員の研究データについては外注スタッフが中心となり移行を完成し、21世紀を迎え無事大型機を見送ることが出来た。跡地の一部には75kvA無停電電源装置が鎮座し、ITCのハード的セキュリティを支えてくれている。

また、ITCでは全地区横断的な仕組みとして技術系サービスについてはCNS(Campus Network System)、ユーザー向けサービスについてはCS(Client Service)という二つの大きな枠組みがある。これはメディアセンターから分離する前後(1999年2月)にこれらの枠組みのサービス体制についてどんな感じでどんな呼称にするかBerkeleyで1年遊んでたんだから向こうのカッコイイのから何か考えておけ、という事になり、米国の主要大学のIT系サービス機関のWebページをいくつか見て回ったところ、当時、University of PennsylvaniaがICS(Information & Computing Service)組織とスタッフを公開しており、そこにはNetworks & Connectivity 、Academic Computing、Mail & Web Service、Client Service、等々列挙されていた。これを参考にしようということになったが、かの大学ほど人員数が豊富なはずもなく、技術系はCNS、ユーザー系やソフトウェアサービスはCSでまとめて行こうということになり、これが今日まで続いているルーツである。

この他、利用相談員の諸君についても触れておきたい。三田計算室時代プログラム相談員と呼ばれていた時代から連綿と続く彼/彼女らは多才な人材が多く、実業界、法曹界、研究教育職、行政職、あるいは起業家や文筆家として活躍している人がいる。彼/彼女らと近しくさせてもらったのも一つの財産であると思っている。送別の色紙を前半と後半で2回ももらってしまったのもよい思い出である。着任した当時は統合印刷システム導入前で、仕事の大半がローカルプリンタ周りのトラブルシューティングで、紙詰まり(持ち込みであったため、何を入れられるかわからない)やトナー切れ(個人向け製品なので公共利用には役不足)相手に奮闘していたが、統合印刷システムが導入された後は本来のユーザー向けサービスに力を入れられるようになった。プリンタ周りのサービスとしてはユーザー所有のPCへのIPP(ITCアカウントがあればネットワークを通してどこからでも出力命令が出せる)設定に変わっていったが、最近ではBYODへのワイヤレス設定が大半を占めるようである。時代の流れと共に仕事の内容は変化したが、三田ITCのサービスの一翼を担い、学生向けサービスの最前線に立ってくれている事には今でも変わりがない。

このように昔話を重ねても取り留めもなくなるので、これくらいにしておくことにする。

今、私の勤務部署はDMC(デジタルメディア統合研究センター)で場所は日吉の西別館、かつて経営管理研究科(KBS)があったところである。DMCは設立当時の事務長は大賀氏で、経営管理研究科(KBS)は私の職員人生のスタート地点でもあり、何やら不思議な縁を感じている。そしてこのような場所から見てみると、ITCのサービスはかつての付加的なものから生活インフラそのものへと変貌し、ユーザーも限られた層から、すべての学生・教職員へと拡大し、さらにはその全員がアクティブユーザー(この表現が正しいかどうかはわからないが)になり、ある意味、かつて永田所長が提唱していたユビキタスな情報環境が実現したのではないかと考えている。ただ、このような環境がさらに発展すると、ユーザーの情報環境に対する無意識化が進み、自動運転的なものや、安全性確保が求められ、ITCへの負担が増大すると共に、今まで考えられもしなかった困難な事象が現出してしまう可能性もあるかな、と少々心配している。が、優秀なスタッフが揃っているのできっと乗り切れるだろうと考えている。

最終更新日: 2019年10月18日

内容はここまでです。