• Japanese

寄稿

ITCと私

商学部 教授:金子 隆


かつて4年ほど三田ITCの所長を務めたことがあり、来年3月で定年退職となることもあってか、ITC年報への寄稿を依頼された。私はITに造詣が深いわけではなく、ITCのあるべき姿を論じられる柄ではないのだが、長いことお世話になった三田ITCの落合事務長からの頼みとあって、気安く引き受けてしまった。ごく平凡な一ユーザーとして、これまでITCとどのように関わってきて何を感じたかを述べることで、責務を果たすこととしたい。

ITCとのお付き合いは、その前身である大学計算センターのときからである。大学院生の頃、見よう見まねで覚えた回帰分析の計算プログラムを、西校舎の地下にあった三田計算室の大型計算機で走らせて、得られた結果に興奮していたことが妙に懐かしい。いまの若い人にはピンと来ないであろうが、その頃は統計データもすべてパンチカードに手打ちで入力していたので、うっかりしてカードの束を落とそうものなら、絶望的なショックを味わった。そんな時代を少しでも経験しているので、ハードにしてもソフトにしても、今日の便利さは隔世の感がある。と同時に、こんなに便利になってよいのだろうかという不安も、便利さを享受する身でありながら、覚えてしまう。

ITCに本格的にお世話になったのは、一回目の米国留学から帰国した1988年以降である。留学中、今日のメールシステムの原型ともいえるBITNETを利用し、非常に重宝していた。これは、大学の大型コンピュータ同士を繋いでメールやファイルをバケツリレー式に伝送するという、いまからしたら何とも古くさい教育機関向けネットワークであるが、当時の米国の学者の間では必需品となっていた。そこで、慶應にもぜひそのネットワークに参加してもらおうと、BITNETの本部から申請書類を取り寄せて三田の計算センターに送り、働きかけた覚えがある。もちろん、それだけが原因ではないと思うが、帰国して間もなく慶應でも使えるようになり、国際共同研究に大いに役立たせてもらった。

いまとなっては笑い話だが、BITNETは大型コンピュータの端末でしか利用できなかったので、シャットダウンしてしまう21時までにメールを打ち終えなければならず、米国の友人と共同論文を執筆していたときは、文字通り時間との闘いであった。しかも、翌日大学に出てくるともう返事が届いているので、年がら年中追いかけられている感じがして、航空便でのんびり原稿をやりとりしていた時代がなんとも懐かしかった。

三田ITCの所長時代(2001-05年)の思い出を少し述べておきたい。ITに関しては素人同然だったが、だからこその視点で、微力ながら教員や学生への広報・啓蒙活動に努めた。というのも、当時、ITCがせっかく素晴らしいハードやソフトを導入しても、そのことがあまり知られず、一部のユーザーにしか使われていないという「宝の持ち腐れ」感を強く抱いていたからである。実際、就任してすぐに実施した三田地区専任教員対象の「IT利用実態調査」によると、ITを教育目的に利用していない教員が6割近くを占め、その理由として「ソフトや機材の使い方がよくわからない」と「利用の意義を認めない」という回答が多いことがわかった。せっかくIT環境を整備しても、使い方の不案内や有用性についての誤解が原因で活用されていないのだとしたら、たいへん残念なことである。

そこで、改善に向けての第一歩として、三田地区の教員にとって有用と思われるIT関連情報を掲載した『ニューズレター』を創刊することにした。Webでの掲載にせず、あえて紙媒体にしたのは、少しでも多くの教員の目に触れてもらいたいと考えたからである。ありがたいことに、三田ITCの職員の皆さんのご尽力により、これはいまでも刊行されている。また、専門家のご協力を得て、教室備え付けのプレゼン機材の使い方やWebページの作成・掲載方法などを平易に解説した『教員向けIT活用ガイド』を作成し、普及に努めた。さすがにこちらは残っていないが、ITCのホームページなどで「初心者に優しい」姿勢が随所に感じられるのは、昔少しはかかわった者として嬉しいことである。

最後に、私自身の最近のIT利用状況を述べておきたい。ひとことで言うなら、ITなしでは仕事ができない状況となっている。この10年ほどのタームでみると、なんといっても大きいのはkeio.jp(慶應義塾共通認証システム)の存在である。まず、教育面では、教育支援システムの恩恵を大いに受けている。授業での教材配布や採点登録などは、その便利さを味わってしまうと、もはやこれなしの教育は考えられない。また、私にとって特に価値があるのは、データベースや電子ジャーナルへのアクセスである。私の場合、実証分析にウエイトを置いているので、統計データに自宅で夜中でもアクセスできるというのは、昔の不便さを知っているだけに、本当にありがたい。

このように、いまの自分は教育面でも研究面でもITの便利さにどっぷり浸っているわけだが、それはリスクと背中合わせの状況でもある。もし、大学のサーバがハッカーに侵入されて情報が改ざんされたり、ダウンして復旧不能な事態に陥ったりしたらと考えると、ゾッとする。ITの便利さは、セキュリティも含めて、それを提供する人たちへの信認の上に成り立っているということを、あらためて感じる次第である。

図書館と並んで慶應のIT環境が充実しているということは、他の私立大学の話を聞くとよくわかる。限られた予算と人的資源でここまでこられたのは、ITCをはじめとして、メディアセンターや学生部といった関連部署の皆さんのご尽力によるものである。人は便利さに慣れてくるとそれが当たり前になって、便利さを支えてくれている人への感謝の気持ちを忘れがちである。かく言う私もそうであったが、この拙稿を書くことで、あらためてそのことに気付かされた。この場を借りて厚くお礼申し上げたい。

最終更新日: 2017年9月16日

内容はここまでです。