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特集

慶應メール、革新。 ―グローバルスタンダードのクラウドコラボレーション―

ITC本部:宮本 靖生


1.メールシステム移行検討史

「慶應メール」...この何とも単純で古風な名前に出会ったのはいまから7年前の2008年春だ。その当時から、メールなどというものは大学という教育機関であれば、どこでも使えて当たり前というサービスだったと思うが、これまで複数の大学でメールシステムを利用してきた私にとって、義塾のサービスは当時から非常に充実したものであったことを鮮明に記憶している。「ひとりあたり2GBの容量」、「スケジューラ」、「ファイル保管」、「利用者自身によるメーリングリストの作成」、「ウェブサイトの作成」...現在はちっぽけに見えてしまうこれらの仕様も、当時、大学ですべてを提供している事例はあまりなかったのではないか。そのような充実したサービスを約5万人の学生、教職員に提供し、1日に多いときで2万人がアクセスするシステムだけあって、安定した稼働や充実したサポートを提供するために毎年それなりのコストが必要となっていたことは言うまでもない。

そんななか転機が訪れたのは2010年3月のことだ。元々、3年毎にシステムをリプレースすることを想定して運用していたメールサービスではあるが、この時期、「クラウド」というキーワードの広がりとともに、全国の教育機関では、自分たちでハードウェアやソフトウェアを調達せず、システムの構築もしない、無償のメールサービスを導入するところが増えていた。私たちITCとしても、まずはどのようなサービスであるかを知ることから始めようと、飛び込み営業で提案のあったG Suite (旧 Google Apps)について話を聞いてみることにした。当時の検討結果を先に言ってしまうと、本稿で述べているとおり、以降の数年間はその具体的な検討もされないまま、当時のサービスを利用し続ける結論に至った。理由としては、「クラウド」という得体のしれないサービスへの不安感や抵抗感がまだまだ根強く残っていたことがあげられる(今回の移行前後でさえ、すべての利用者から払拭できたかどうか定かではない)。実際には、Google社のG Suite (旧 Google Apps)のほかにも、Microsoft社のLive@edu、Yahoo Japan社のYahoo!メール Academic Editionをはじめ、塾内でサーバを運用したり、塾外のプライベートクラウドでシステムを運用したりするタイプの商用サービスも並行して検討したが、いずれも積極的に移行を進めたくなるような製品に見えなかったというのが当時の率直な感想である。これは本稿の初めにも触れたとおり、当時提供していたサービスがいかに充実していたかを表しているのではないだろうか。

2.「慶應メール」サービス史

ここで義塾のメールサービスについて、その歴史や特徴を説明しておかなければならないだろう。義塾はその地理的特性やキャンパス誕生の歴史から、キャンパス毎に異なるサブドメインを付したメールアドレス(@mita.cc.keio.ac.jpや、@hc.cc.keio.ac.jp等)を利用者に提供していた。さらに、学部や大学院、一貫教育校では個別のサブドメイン(@flet.keio.ac.jpや@econ.keio.ac.jp等)でメールシステムを運用しており、それぞれのメールシステムは、相互連携や、データの引継ぎ等には対応していなかったため、利用者は進学や進級の度に、各自でメールアドレスの変更周知やデータの移行をする必要があった。 当然、各システムを利用するためのアカウントは異なっていたため、利用者は多くのシステムを利用すればするほど、多くのアカウントを使い分ける必要があった。

このような状況を改善するため、2004年になって、ようやく全塾共通のメールサービスが提供され始めた。「慶應メール」の始まりである。この「慶應メール」と同時に、ひとつのアカウントで多くのサービスを利用できる「シングルサインオン」という仕組みが構築された。これが、「keio.jp」(慶應義塾共通認証システム)である。利用者から見れば、「システム」というものは非常にわかりにくいらしく、「keio.jpのメール」、「keio.jpのレポート」…といった言葉をよく耳にするが、各サービスは「慶應メール」、「授業支援」といったアプリケーションであり、keio.jpという認証システムを使って利用するオンラインサービスである。

慶應メールについては、2004年から2007年まで提供していたものと、2007年から移行のための猶予期間を含め2015年3月まで提供していたものは、異なる商用のシステムをベースにサービスを提供していた。上述のとおり、無償サービスの導入を検討した当初は、自分達が提供するサービスを凌駕する魅力を見出せなかったが、数年が経過し、あらためて、機能、仕様、拡張性、コスト、そして、keio.jpとの親和性等、総合的に判断した場合、これからの義塾に必要なサービスは明白であり、検討を加速、推進させるに至った。

3.メール移行プロジェクト

かくして、約8年間にわたり商用のサービスを改良・提供し続けたメールサービスの移行プロジェクトが始まった。

ターゲットは、2014年11月11日。本格的な検討を再開したのは約1年半前で、まずは、数年間検討を保留していた各社のサービスに関する最新の動向調査から開始した。幸い普段から取引のある数社経由で、概要レベルの情報を得ることができたため、当時の流行りを把握するまでにそれほど時間はかからなかった。次に、部内で検証を進めるため、実際のサービスを提供している各社の担当者に接触を試みた。これが、なかなかの苦労だった。普段、私たちは義塾というブランドをもっとも感じる機会として、各社からの「提案」がある。特にIT業界ともなれば、スタートアップから誰もが知るグローバル企業まで年間数百社におよぶやり取りがあり、そのすべてを導入・利用することは当然できないため、各提案内容について比較・検討を重ね、取捨選択する立場にある。今回も選定という意味では、似たようなプロセスをたどることは間違いないが、相手はいずれも世界トップレベルの企業で、しかも私たちはそのサービスを無償で利用するというこれまでにない構図だ。もちろん比較の段階である程度の検討は進められているが、最終検討段階で残った候補については、私たちが選定のポイントとしていたサービスの充実度もほぼ互角の内容だった。それは導入数の面で相当の実績があることからも明らかだった。そして、数か月におよぶ比較、検討、検証の結果、私たちは次期慶應メールとして、“G Suite for Education (旧 Google Apps for Education)”を選定した。サービス提供開始までおよそ1年前の2014年12月のことである。

そこからはあっという間に月日が流れていった。他の業務を一切放棄して、このプロジェクトだけに専念できれば...と何度思ったことだろう。繁忙期を含め、通常業務に加えての対応で、十分に納得のいく検証や資料の準備ができず、どうしようもなくなりそうなとき、ワーキンググループが発足した。サービス開始まで残された時間は半年を切っていた。普段、面と向かって利用者と接することのない私やそれまでプロジェクトを進めていた数名のメンバーとは違い、ワーキンググループに召集された各キャンパスのスタッフは相当な危機感を持っていた。どのようなひとたちが、どのようなサービスを、どのように利用していて、今回の移行でどのような影響があるのか、何をしなければならないのか、そもそもなぜ移行しなければならないのか...すべての利用者に移行の周知をした後の様々な問合せに対し、個別の会議体や利用者、Web、メール、掲示物、配布物等であらゆる説明を繰り返した。同時に、諸々の検討や事由はあったとしても、今回の移行はサービスを提供している私たちの都合で進めているため、利用者に可能な限りの負担や、移行に関して操作や設定等の手間をかけないようにするため、データの移行や関連システムの構築も急ピッチで進めた。

サービス開始まで1週間を切った。並行して進めていたkeio.jpの改良も準備が整い、G Suite (旧 Google Apps)を提供するための事前データを処理していたときのことだった。「プライベートで利用しているGoogle社のサービスを急に利用できなくなった」最初はまだ提供を開始していない新たなサービスとプライベートで利用しているサービスの情報を混同して問合せがあっただけだと認識していた。しかし、同様の問合せは立て続けに数件入った。正直、何が起こっているのかその時点ではまったく理解できなかった。実際の画面確認に協力してくださった利用者の状況から、ようやく原因がわかった。「アカウントの重複」問題である。さらにサービス開始の数日前には、この問題に起因して、他の機能でも調整や周知が必要な状況となり、新たなサービスは慌ただしく提供が開始された。

唐突ではあるが、みなさんは約5万人が利用するメールサービスの移行にどの程度の期間が必要と思われるだろうか。パソコンやスマートフォンの操作に慣れている人でも、容量や使い方によっては、少なくとも1週間程度は安定して利用できるまでにかかるのではないだろうか。私たちが検討を重ねて、今回の移行に設定した猶予期間は約半年間だ。これは教育機関、特に大学という特性を考慮した場合、短く感じてしまう人も多いかもしれない。留学や在外研究から帰国した学生や教員、半期に数回しか授業を担当しない非常勤教員等、ワーキンググループでも移行期間については相当な検討を重ねたが、長期の猶予期間は利用者の対応やデータの移行等を長引かせ、移行しにくい状況を発生させる可能性が高くなるという判断からそのように設定した。

その後、2015年3月まで新旧両方のサービスを並行運用させ、想定外のトラブルをいくつも乗り越えながら、今日、新たなサービスのみに完全移行した後も慶應メールは動き続けている。移行前や直後には日に100件程度あった問合せも、いまでは日に数件程度まで落ち着いた。

4.今後にむけて

既に慶應メールを利用していた在籍者には、1年間のメール転送サービスを提供しているが、今後は、在籍時に取得したメールアドレスでメールの送受信を含めた生涯利用をできるようにすることや、利用対象を一貫教育校の生徒・児童、塾員にも拡大できるよう塾内で調整を進めている。さらに、単なるメールだけではなく、コラボレーションツールとして、教育・研究活動に役立ててほしいという思いもあり、世界トップレベルの大学が多く利用している現在のサービスをフル活用して各自の成果や可能性を広げていってほしい。

一方で、無料通話やメッセージングアプリが台頭し、教育機関として提供しているツールよりも利活用されている現状もあるが、私たちが選んだG Suite (旧 Google Apps)はクラウドサービスの特徴であるその進化を日々とげており、利用者にとっても、管理・運用者にとっても、まだまだプラスの可能性を秘めている。導入や移行がゴールではなく、教育機関にとっての本質的な活動における利活用が達成されてこそ、今回のプロジェクトが成功したと言えるのだろうが、その結果がわかるまでまだ数年はかかりそうだ。同時に、万が一、このサービスが終了する日が来たときに備え、また、利用者にとって、よりよいサービスを提供できるよう、今後も不断の検討と対策を進めなければならない。もちろん、そこには多くのスタッフがいて、何よりも多くの利用者がいて、義塾という組織の活動にはいつも注目が集まっている。今回のプロジェクトがすべてのステークホルダーに対して、十分なアカウンタビリティを達成できるよう今後も微力ながら対応していきたい。

最後に、本プロジェクトに関わるすべての方々に心から感謝の意を表して本稿の結びとしたい。

最終更新日: 2016年11月11日

内容はここまでです。