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提言

第三の波とBig Data

ITC副所長 野寺 隆


今から30年くらい前のことになるが、第三の波と言えば、未来学者Alvin Tofflerが出版した著書のことだったが、ここでは米国の新しいコーヒーを提供する波のことを指している。現在、コーヒーといえば、80年代にSeattleに本拠地のあるStarbucks(スターバックス、通称“スタバ”と呼ばれている)に代表される深入りのコーヒー豆を使ったものである。このお店は我が国でも大人気のお店で、ほぼ全国制覇していると言って寡言ではない。完全制覇と言えない理由は、まだ鳥取県にスタバが一店も営業していないからだ。ただ、近年、オーストラリアではスターバックスの撤退が見られ、全世界制覇の野望には、ちょっと限りが見えてきたかもしれない。スターバックスの登場は、第二のコーヒーの波であり、第一の波はいつ登場したのであろうか。それはアメリカン・コーヒーと呼ばれ、60年代にデニーズに代表されるファミリーレストラン(通称、ファミレス)などで提供された多少薄めのコーヒーである。それでは第3のコーヒーの波は何かというと、日本人にとってはそれほど目新しいものではない。言うなれば、日本の喫茶店のメニューにあるようにコーヒーの種類が豊富で、「コーヒーなら、ほぼなんでも揃っていますよ。」というお店なのだ。日本の喫茶店は現代の若者にとってプラット立ち寄りづらい存在となっているらしい。第三の波のコーヒー店では、ちょっと大きめのイタリア製のコーヒーマシーンが鎮座して、〝バリスタ″と呼ばれるコーヒープロフェッショナルが多種多様なコーヒーを提供することらしい。勿論、ラテアートにもたけている。コーヒー業界の変化を見てみると、一世代が20年~25年周期で新しい波がやって来るように思う。最初は、日本の番茶感覚のアメリカン・コーヒーを出すお店から、ちょっと深入りでパンチのきいたコーヒーを提供するお店に変化し、その次にやって来たのが豊富なコーヒーメニューに溢れたお店である。来年、米国から我が国にも第三の波に乗ったコーヒー店がやって来るらしい。

コーヒー業界の進歩に比べると、IT業界の進歩の流れは驚くほど早く、新しいツールが生まれるサイクルは目まぐるしく変化する。ちょっと目を離すと置いてきぼりを食らってしまい、まるで浦島太郎になりかねない。

ここ数年話題になっている言葉がある。それはクラウドとBig Dataである。例えば、Newsweek (September 2,2014)に、このBig Dataに関するSpecial Reportが掲載されている。「Big Dataはどんなもの」と考えてみると、ネット上でうごめくクラウドに集められた様々なデータを指している。勿論、物理学や天文学の分野では、Big Dataは以前から活用され、様々な解析を伴う研究が行われている。我々の身近では、検索のキーワード、emailから得られる情報、ソーシャルネットワーク(例えば、facebook、twitter)などある。また、我々が入力する様々な話題情報、さらにネットでお買い物をしたときのクレジットの情報、コーヒショップやDVDのレンタルショップやスーパーで使うカード、飛行機のマイレージカード、それだけでなく交通カードなどから得られるデータがある。通常、我々はデータを提供する代わりにポイントと呼ばれるオマケが貸与されることもある。勿論、これらのサービスを利用すると、我々のデータは入力ツールで読み取られ、得られたデータはクラウドと呼ばれるネットワークでつながったある特定な場所、すなわち、サーバーと呼ばれるコンピュータに蓄えられる。例えば、昨今のある一日を考えると、世界中を飛び回る1440憶通のemail、facebookだけで684000以上のコメントや写真がシェアーされている。さらに、YouTubeには、1分間に平均72時間分の映像がuploadされている。また、現在世界で保存されているデータの9割は、過去2~3年間で作られたものだ。

ここで、1つ疑問が生まれる。「はたしてクラウドはいったいどんなもの。」クラウドとは技術的な定義で言うと曖昧なことばである。一言でいえば、複数のコンピュータによって蓄えられている膨大なデータの集まり、すなわち貯蔵庫のようなものである。実際、日々大量にデータを作り出す日常で、このような膨大なデータを管理することがはたして可能なのだろうか。答えは勿論”yes”なのかもしれない。私たちは発信する個々の情報はちっぽけでも、データマイニングなどを使って、その中のいくつかを集めて類推し関連つけると、ある程度真実が見えてくる。些細な情報が集まったデータベースにしても、使い方によっては決して些細なものではない。ただ、「Big Dataも誤って使う輩も出てこないとは言い難い」ことをEric Siegelは、”Predictive Analysis” (Wiley, 2013) の中で警告している。例えば、人間の医療データが詳細に分析され人の一生が確証されたとしても、世の中何が起こるかわからないので、あいまいな個人の行動をアルゴリズムで予測することは難しいことも事実である。

ネット上での個人データの氾濫、他人による侵されるプライバシーを我々はどう処理、解決すればよいのだろうか。このような日々解決すべき問題は、解決されずにどんどん広がってゆく。facebookで“いいね”という些細な発信からも、その人の社会的な個人情報が特定出来てしまう可能性は全くないとは言い切れない。安全だと確信していたクラウドに蓄えられた情報も知らないうちに流出している事件も起きているのだ。個人情報の提供の仕方について、もう少しユーザ側も考える必要があるのだが、提供されたデータを取り扱う側のビジネスモデルにも全く問題がないわけではない。

最終更新日: 2014年10月17日

内容はここまでです。